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ミャンマー シャン州 インレー湖エリアにて
製作地 ラオス北東部 フアパン県 Hua Phan
製作年代(推定) 20世紀前期 1920-1940
民族名 タイ・デーン族 Tai Daeng
素材/技法 絹(カンボウジュ種)、木綿、天然藍、天然染料(ラック他) / 平地交織、緯絣、緯紋織、縫取織
作り手の志向する色が見事に現出した、製作に成功したであろうことが伝わってくる一品。
取り分け、絣の地色”赤”の色合いの美しさ、彩度・明度をそなえた完成美は際立っています。
いろのひとつひとつ及び色彩全体に生命力の高さが実感され、絣・紋織・縫取織の出来も秀逸、時代を超えて、目にするものに至福のときをもたらしてくれます。
(下は光学顕微鏡による画像)
製作地 日本 ※地域不詳
製作年代(推定) 19世紀末~20世紀初期 明治時代
素材/技法 木綿、染料 / 鳴海紺型(型染・片面染め)
サイズ 幅(緯)33cm、長さ(経)50cm
江戸時代より人気を博していた有松・鳴海地方の木綿絞り染めを模して、型染の技法により繊細な意匠模様を表現した”鳴海紺型(なるみこんがた)”。
本品は型紙彫り職人が技を競い、地方の紺屋が健在であった時代に作られたもので、複数の型紙を巧みに用い緻密な点描・線描を交えて”燕”と”扇”の吉祥模様を染め描いたもの、手紡ぎ・手織りの木綿地も相俟って染め表情には固有の表情の豊かさが感じられます。
藍と白に染め分けられたつがいのツバメ飛翔姿、黒に塗られた扇の色彩コントラストが秀逸で、小ぶりな解き裂ながら時代に固有の色香と生命感を愉しむことのできる一枚です。
(下は光学顕微鏡による画像)
製作地 日本 ※地域不詳
製作年代(推定) 19世紀末 明治時代初期
素材/技法 苧麻、天然藍、顔料 / 平織、筒描、描き染め
サイズ 裄丈36cm、袖巾20cm、袖丈54cm、身丈94cm
苧麻織り地に筒描と描き染めの技法により”波”と”瑞亀(ずいき)”の模様が表された一つ身・単衣の産着(祝い着)。
経緯とも撚りをかけない平糸で織られた麻地は繊維・糸が極めて繊細で柔らか味があり、布の質感と純白具合から”奈良晒(ならさらし)”若しくはそれに伍する極めて上質な苧麻晒布が用いられている様子が伺われます。
そして上質な晒布ゆえの藍の染まりの美しさ・明度の高さは特筆すべきものであり、本産着に見られる空藍の色調は幕末期~明治初期の晒布着物の残存作例と符合するものとなります。
子供の健やかな成長を祈って描かれた”瑞亀””波”の絵柄は生命感・躍動感に溢れ、袖の”松皮菱と波”、身頃・袖に配された”丸に片喰”五つ紋の端整な染めを含め、江戸職人仕事を継承する紺屋・染め師が手掛けたものならではの精神性の密度の高さが実感される一品です。
(下は光学顕微鏡による画像)
製作地 日本 東北地方?
製作年代(推定) 19世紀後期 幕末~明治時代初期
素材/技法 木綿、絹、天然藍 / 型染、片面染め ※先染め木綿糸(藍)と無染絹糸の交織布使用
サイズ 幅(緯)32cm、長さ(経)47cm
藍の濃淡により”唐草模様”が表現された19c幕末~明治初期の型染布。
木綿の生産と型染が民間に流通するようになった江戸時代中期以降、この種の大ぶりの唐草連続モチーフの藍染め布は夜着・蒲団表等の用途を中心に使い勝手の良い意匠・模様として広く・長くもてはやされてきました。
そのため今でも多くの残存作品・資料を目にすることができますが、本品はこの手の唐草型染の素材に一般的な木綿・麻ではなく”木綿と絹の交織布”が用いられている点で珍しい作例と言うことができます。
さらに光学顕微鏡の画像で確認できるように、淡藍部分の絹は藍に染まっていない無染白色であり、つまり淡藍に染めた先染め木綿糸と無染絹の交織布を敢えて用いている点においてなかなか目にすることの無い特殊な染織作品と位置づけられます。
発注者の意図によるものか、紺屋のこだわりによるものなのか分かりませんが、何らかの理由と想いがあって作られた布であり、固有の美の生命が感じられる一枚です。
(下は光学顕微鏡による画像)
製作地 インド南東部 コロマンデル海岸エリア Coromandel coast
製作年代(推定) 18世紀初中期
渡来地・使用地 シャム王国 アユタヤ王朝期
素材/技法 木綿、天然染料 / 木版捺染、手描き(カラムカリ)、媒染、防染、片面染め
サイズ 横20.5cm、縦15.5cm
インドで手掛けられ、アユタヤ王朝期18世紀のシャム王国(タイ)にもたらされた宮廷儀礼用布としての古渡りインド更紗。
菩薩様(天人テパノン)が主模様となる所謂”仏手(ほとけで)”として知られる種類のもので、当時日本においてもこの仏教的意匠が珍重され、大名・富裕商人を中心とする茶人が”暹羅染(シャムロ染め)”の呼称で愛好した様子を、今に伝わる茶裂(仕覆・包み等)や裂帖等によって確認することができます。
本裂は「タイ・バンコク国立博物館」所蔵のアユタヤ王朝使用儀礼用更紗と同手であり(上掲画像参照)、メーンパネルにはやはり菱格子と菩薩の連続模様が配されていたものと推察され、この部分は日本で茶裂に仕立てられた可能性を指摘することができます。
仏法・王国を守護する蛇龍神”ナーガ”及び”菩薩”に挟まれてタイ宮廷舞踊”ラーマキエン(コーン)”由来の踊り子姿がボーダー模様として描かれた本インド更紗は、王宮内において実際にどのような場面で用いられたものなのか、或いは直接・間接に日本に舶来したのちどのような数寄者が所蔵・使用したものなのか、想像がひろがります。
20cm×15cmの断片裂、そのうちに無限の浪漫が包有される一枚です。
(下は光学顕微鏡による画像)
本ブログ内の関連投稿 18c シャム王国向け 古渡り”仏手”インド更紗裂<1>
製作地 日本 東北地方
製作年代(推定) 19世紀後期 明治時代
素材/技法 木綿、大麻、天然染料 / 垂れ布:木綿(経)×大麻(緯)交織、乳:木綿平織
サイズ 幕全形:横幅約200cm、縦(乳含む)約155cm、垂れ布の一巾:約33cm
東北地方で19c(明治時代)に手掛けられた横幅約2mの乳付祭礼幕。
経に木綿・緯に大麻を用いた交織の縞格子布が織り巾のまま6枚垂れ布として配され、縞木綿の乳が加えられた比較的簡素な仕立てのものですが、藍とともに刈安(かりやす)の黄染めが染色に用いられており、掛け合わせの緑色と藍の濃紺、そして刈安単色の濃淡の黄色を巧みに配した縞格子模様に固有の華やぎが薫ってまいります。
経年と使用により黄染めが褐色することで落ち着いた色味となっておりますが、製作当初はより明度・彩度の高い”萌黄色”に近かったのではないかとも推察されます。
光学顕微鏡による拡大画像で判別できるように、縞格子布の緯に用いられた大麻は極めて細く裂かれ束ねられ、強めに撚りがかけられた堅牢な糸が用いられており、柔らか味のある手紡ぎ木綿と天然染料を併せ上質な素材のもと丹念な手仕事により生み出された様子が伺われます。
質朴ながら全体及び細部にしっかりと美の生命が宿る一品です。
(下は光学顕微鏡による画像)
製作地 日本 北海道
製作年代(推定) 19世紀
素材/技法 木綿、靭皮繊維、ベルベット(房) / 緯もじり紋織&巻き織、スプラング、刺繍
サイズ 帯全体の長さ:約142cm、帯(胴部)の幅:約6.5cm、先端の房の大きさ:縦9cm×横12cm
北海道アイヌが19世紀に製作した刀掛帯(太刀綬)”エムㇱアッemusat”。
アイヌ男性が儀礼用太刀を身につける際および太刀を祭壇に飾り付ける際に用いられたもので、自製の靭皮繊維と外来の木綿を主素材に織り・編み・縫い・刺しの技法を駆使し、アイヌ女性がカムイ(神)への祈りとともに手掛ける伝統を有してきたものとなります。
本刀掛帯は靭皮繊維を素材にスプラングで成形された肩掛け部、経に靭皮繊維・緯に多色の木綿糸が配され緯もじり紋織と巻き織により幾何学文様が表現された胴部、黒のベルベット地に刺繍により伝統モチーフが表現された装飾房で成形されたもの、刀通し部の表面に配された多色綾地の縞木綿を併せ、様々な素材・技巧により構築された作品からは固有の美が匂い立ちます。
先にご紹介の刀掛帯では肩掛け部と胴部は一連の織物ですが、本刀掛帯ではスプラングと紋織の別パーツとなっております。まったく同じ表情のものはなく”世界にひとつ”であることが、このアイヌ刀掛帯”エムㇱアッ”の特色と言えます。
(下は光学顕微鏡による画像)