
インドネシア スラウェシ島 タナ・トラジャにて
製作地 日本・沖縄県 宮古島
製作年代(推定) 20世紀前期 1920-30年頃
素材/技法 苧麻、琉球藍、蓼藍 / 平地、経緯絣、砧打ち
サイズ 幅17cm、長さ157cm
経・緯に苧麻の撚り糸(S撚り・経双糸)が用いられ経緯絣の技法により繊細な模様が織りだされた戦前1920-30年頃作の宮古上布、衣裳解き布の一部位と推察される半巾サイズの裂地です。
黒に近い濃紺(かちいろ)の地色が印象的で、これは琉球藍と蓼藍を併用する”合わせ藍建”をもとに数十にのぼる回数の浸染と天日干し作業の繰り返しで得られる色味、糸・染料・製作工程の近代化が進む以前の古手の宮古上布に固有のいろと言うことができます。
そして巧緻な経緯の糸括りにより表現された幾何学状花模様は繊細でありながら硬さが無く、下の拡大画像でも確認できるように染めのきわ(絣足)にも格別の表情の豊かさが感じられます。
薄く軽い織物ながら堅牢かつ重厚な色柄表情を有し、細部にまで神経の通った染織としての格調の高さと精神性の深みを薫らせる、百年を遡る時代のいにしえの紺地経緯絣上布です。
(光学顕微鏡による画像)
製作地 琉球王国(現日本国・沖縄県)
製作年代(推定) 19世紀後期
素材/技法 木綿、顔料、染料 / 型染、糊防染、片面染め
サイズ 横10cm、縦16cm
この黄色地紅型は読谷の花織絣衣裳の裏とされていたもので、細巾で仕立てられていた返し衿の部位から取られた裂地となります。
琉球王朝期において紅型衣裳は基本的には王族・上級士族等の上層階級が使用するものであり、更に黄色地は高貴ないろとして使用者の制限があったことが伝わりますが、これが模様の限定(小紋柄等)とともに衣裳の裏地に用いられる場合は、例外的に庶民層の使用が許されていたことが資料・文献及び残存作例により確認できます。
本裂は黄色地に細かい蔓葉繋ぎと小さな花が色差しで散りばめられた素朴な模様構成のものですが、下参考画像のように紺地の花織絣衣裳との取り合わせに絶妙な味わいがあり、しっかりと見映えの計算がなされたうえで手掛けられた様子が伺えます。
粗く紡ぎ織りされた木綿が用いられており、この”鬼手更紗”に近しい布感・色柄表情にも格別の魅力が感じられる一枚です。
(参考画像) 同種の黄色地蔓花模様紅型が裏地に用いられた19c花織絣衣裳
製作地 琉球王国(現日本国・沖縄県)
製作年代(推定) 19世紀中期
素材/技法 木綿、顔料、染料 / 型染、糊防染、両面染め
サイズ 横13cm、縦33cm
琉球藍による地染めの、やや青味掛かった水色の瑞々しくかつ華やぎある色彩が印象的な木綿地紅型。色区分では”水色地(ミージー)”と”紺地(クンジー)”の中間、”浅地(アサジー)”に位置づけられる色調の両面染め作品です。
水面の穏やかな凪が白抜きの直線、梅の枝花は曲線、楓は動的な舞い姿でそれぞれ描かれており、比較的シンプルなモチーフ構成ながら、色彩・デザインの工夫を随所に見てとれます。
また白抜き線をよく見ると太さや先端の処理が一様ではなく、細部に職人手仕事のものとしての生命が宿っていることが確認できます。布両面で破綻の無い染めの完成美も見所です。
衣裳としての使用も相俟って製作時からは色が薄くなっているとも思われますが、濃い部分と薄い部分がグラデーションとなっており、そのことが本裂の魅力を高めているとも感じられます。
(光学顕微鏡による画像)
製作地 日本・沖縄県 本島
製作年代(推定) 19世紀末~20世紀初期
素材/技法 糸芭蕉、染料(琉球藍・車輪梅) / 平地、経緯絣
サイズ 横(緯)15.5cm、縦(経)47cm
19c末~20c初期に沖縄本島で手掛けられた芭蕉”生成地経緯絣”裂。
琉球藍と車輪梅(ティカチ)の2色で経・緯双方の芭蕉糸が括り染めされ御絵図柄(みえずがら)が繊細に織り表されたもので、王朝期からは時代が下がると考察されますが、王朝期直系の高度な糸作り・染め・織りの技術が反映されたものとなります。
光学顕微鏡により本布の芭蕉糸を目にすると、繊維の一本一本の太さが均一で明度が高く毛羽立ちもなく、糸繋ぎ(結び繋ぎ)の処理も巧緻、布は柔らかみと滑らかさを備えており、当時としては上手の部類の衣裳用芭蕉布として製作されたものであることが伺えます。
15.5cm×47cmのサイズを超えるスケール感を有し、時代を超えて瑞々しい生命感が薫る琉球芭蕉布の逸品裂です。
(光学顕微鏡による画像)
製作地 日本・沖縄県 本島
製作年代(推定) 20世紀前期
素材/技法 木綿、染料 / 平地格子、経緯併用絣
サイズ 袖丈28cm、肩幅60cm、着丈118cm
20c前期に沖縄本島で手掛けられた木綿”青地格子経緯絣”衣裳。
経・緯ともに藍染めと黒染めの木綿が規則的に配され格子柄と経緯併用の絣模様が織り表された単衣の長丈上衣で、吉祥模様の”トーニー(豚の餌箱)”及び”カキジャー””ピーマー”の琉球絣伝統モチーフが端整に散りばめられております。
戦前の作例で製作地の特定は難しいものの、那覇近郊や南風原(はえばる)等で日常着として染め織りがなされたものと推察されます。
黒糸が入っているため衣裳全体としては紺地に近い色調で目に映りますが、藍糸単体では浅色~青色の色合いで染められていることが確認でき(下の光学顕微鏡による画像参照)、琉球藍による鮮やかかつ深みのある青藍のいろに琉球染織固有の美と色香が感じられます。
戦時中に庶民層の伝統染織・衣裳の多くが失われており、貴重な資料と言える一着です。
(光学顕微鏡による画像)
製作地 琉球王国(現日本国・沖縄県)
製作年代(推定) 19世紀初期
素材/技法 苧麻、顔料、染料 / 型染、糊防染、両面染め
サイズ 10.5cm×38cm
苧麻の織り地に両面染めで模様付けされた単衣衣裳用の紅型裂地で、琉球藍の浸染で表現された、”浅地”よりやや濃い目の”藍地”の深くかつ明度の高い青の色合いが印象的な作品です。
桜の花びらには淡いパステル調の色、貝藻模様には濃いはっきりした色とそれぞれ使わい分けることで絶妙なコントラストが生み出されており、デフォルメされたシンプルな意匠ながら布両面に丁寧に施された色づけの細部から職人の技術の高さが伺えます。
王朝期紅型の残存作例を目にすると、藍浸染・両面染め系統の紅型の台地には苧麻が用いられたものが多く、これは肌触りや着心地等とともに色の染まり具合(色感)と関係があった可能性を指摘することができます。
素材面・技術面での緻密な計算のもと手掛けられた染織作品としての固有の完成美が実感される古手紅型の逸品裂です。
(光学顕微鏡による画像)
製作地 琉球王国(現日本国・沖縄県)
製作年代(推定) 19世紀中期
素材/技法 木綿、顔料、染料 / 型染、糊防染、片面染め
サイズ 横19cm、縦61cm
150~180年前の色料と染め技術が駆使された華やかかつ可憐な色柄構成の紅型裂、衿が重なっていた箇所が斜めの線で残っており、衣裳の衽部分であったことが確認できます。
松皮(菱)が象られたジグザグの描線で画面が区画され色の染め分けがなされた作品で、広義の”染分地”に入るデザイン様式のもの、このタイプの紅型は上級士族等の子供用の祝着とされたものが多いことが知られております(この種の衣裳全形は下の参考画像を参照)。
本紅型裂の中には子供の健やかな成長の願掛け模様である”蔓花(つるが長く伸びる)”が描かれていることからも、やはり子供用衣裳であったものと推察されます。
生き生きとした鶴・鳥たちの飛翔姿が秀逸で、スケール感のあるパノラマ的絵図に目と心を奪われる一枚です。